六岡 優里
3歳からピアノを始め、中学から吹奏楽部でピッコロ・フルートを始める。
鹿児島県立甲南高校を経て、鹿児島大学教育学部音楽専修卒業。
第26回鹿児島新人演奏会出演。
これまでにピアノを井上りつ子、下福力、山下晋、片野田郁子の各氏に師事。
ピアノやフルートの演奏活動を行っている。
RIKIの会会員。
音楽団体kirishima会代表。
鹿児島県文化振興財団アーティストバンク登録アーティスト。
【現在の活動】
・kirishima会主催の演奏会開催
・アーティストバンク関係の演奏活動
・太千鶴さん(歌)との演奏活動
・中尾莉奈さん(フルート)との演奏活動
・バンド活動
・学生の伴奏 など
【教員としての経歴】
・小学校での臨時採用→中学校3校
・小学校では担任、中学校では音楽の教員を担当。
・部活動は吹奏楽部の顧問を担当。
・教務主任、進路指導主任、特別支援コーディネーターなどの経験有り
もっと詳しいプロフィール
音楽との最初の出会い
小さいころ、テレビで流れていたCMソングをよく歌っていた私。そんな姿を見て、親はピアノを習わせてくれました。幼稚園生の頃は、よくセーラームーンを弾いていたと記憶しています。イントロがかっこいいですよね。弾いてみたいという強い憧れがありました。

ピアノが好きで、家にアップライトピアノが来た時は、嬉しくて、家でたくさん練習していました。某音楽教室に通っていた私の特技は、小さいころから聴音と初見演奏でした。
それは今でも強みだと思っています。今のピアノの先生からも「すぐ弾けるんだから、最初からもっと和声とかのことを考えて弾いたらいいのに」と言われるほどです(笑)
素敵な力を与えてもらえたことに感謝!
友達からのリクエストが育ててくれた即興力
私が通っていた小学校には、1教室に1台オルガンがありました。
ピアノが弾けるということで、友達が「この曲弾いて」とリクエストをくれることが多くなりました。最初は片手くらいしか弾けなかったと思いますが、リクエストに応えたいという思いからか、いつしか両手で即興で弾けるようになってきました。
でもそれはいきなりできたわけではなかったと思います。
私は負けず嫌いなところがあるので、弾けない曲があったときにはとても悔しくて、どうしたらパッと弾けるようになるのか考えました。その時流行っていた曲の楽譜を買ってもらって練習することで、この時にはこんな和音をつけたらいいのかなと気づくことができました。(もちろん音楽教室でのソルフェージュも役立っていたと思います)
中学校に入って、音楽室に行くと休み時間には必ずと言っていいほどピアノを弾いていて、友達からも引き続き、リクエストをもらって弾くという時間を過ごしていました。今では大抵の曲は楽譜が無くても伴奏をつけて弾くことができるようになりました。
初見も得意だったので、音楽の授業では伴奏をすることも多く、今まで習った曲を歌う時間では、その場で伴奏譜を見て弾くということもお願いされていた記憶があります。
私が弾いたピアノで周りの人たちが喜んでくれるということがとても嬉しかったです。
ピアノを失いたくなかった日
初見と聴音ができるということは、メリットでもありますが、そのおかげであまり練習しなくてもある程度の曲だったら弾けてしまうというデメリットもあります。
中学校に入った私は、吹奏楽部に入りピッコロ・フルートを担当することになりました。部活は朝練・昼練・そして放課後とあり、疲れて帰ってきた頃にはピアノの練習をすることができなくなりました。
ハノンやツェルニーはレッスンの時に初見でなんとか切り抜けるということも多々ありました・・・(それが私の初見能力をさらに高めてくれたと今は思いますが・・・笑)
ほとんど練習しなくなった私に、ある日親は「ピアノを辞めなさい」と言いました。
この時、初めてピアノが自分から無くなってしまうという恐怖と対峙することになります。

たしかに練習していなかったけど、自分からピアノがなくなるということは考えられなくて、泣きながら続けさせてほしいと言った記憶があります。
私にとってピアノは、いつしか自分を表現するために欠かせないものになっていたのだと思います。
そこからなんとなくですが、私はどんな形であれ音楽と、そしてピアノとともに人生を歩んでいくと決めていたような気もします。
教員への道
高校は普通科に行きましたが、ピアノは続けさせてもらうことができ、大学では音楽科のあるところに進むことに決めました。この時、たまたま教育学部だったということが、私が教員になったきっかけになります。
教育実習で中学校に行った時に、初めて歌の授業をして、その時に一生懸命歌ってくれた生徒の姿に感動し、この職業もいいなと思い、教員という道に進みました。
また、中・高と吹奏楽部に所属していたので、部活動も好きだったので中学校という職種に決めました。

音楽の教員になって、初見と聴音ができるということは大きな強みになりました。授業での伴奏、吹奏楽での指導、いろいろな面で役に立っています。
あの時、私にリクエストをくれた友達には本当に感謝しています。友達が「弾いて」と言ってくれなかったら、今の私は確実にいないと思っています。
ピアノが苦手な学校・幼稚園の先生へ ~ 一緒に考えましょう
私が授業でピアノを弾く時に意識していることが一つあります。それは「空気を変えるような音で弾く」ということです。

例えは教室内が騒がしかったとしても、ピアノが鳴り始めたら静かになる、声が小さかった合唱が伴奏に合わせると少し声が出るようになってくる など・・・
これは生の演奏だからできることだと考えています。
このような経験を少しでも多くの子どもたちに味わってもらえたら、心が育っていくことに繋がっていくのではないでしょうか。
私はたまたまピアノが専門で、だからピアノを弾いてあげることができます。
しかし、先生方によっては、専門がピアノではなくピアノが苦手な人、昔に辞めてしまって今は全然弾けない人、そもそもピアノをやったことがない人、いろいろな人がいらっしゃると思います。
特に小学校の先生は、音楽専科の先生がいなければ自分で音楽の授業をしないといけないので、困っている先生方も多いと耳にします。
もし、授業で自分がピアノを弾いて子どもたちに歌ってもらいたいと思っているけど、自分の実力ではできない・・・と思っている方がいらっしゃいましたら、ぜひご相談ください。
私の経験が役立つ部分があると思っています。「どうすれば弾けるようになるか」を一緒に考えていきましょう。先生が授業でピアノを弾くことで、子どもたちの目の輝きが違ってくるはずです。そして今よりもっと歌ってくれる…なんていう嬉しいことも起こってくると思いますよ。
もちろん音楽の授業でのお悩みなど、ピアノ以外の面でも相談に乗れることもあると思うので、お気軽にお尋ねください。
遅すぎることはない、今がスタート
何かを始めるのに遅すぎることはない、と私は今痛感しています。
小・中学生の頃、地元のピアノコンクールに参加はしていましたが、全然成績を残すことができませんでした。そこから次第にコンクールに挑戦することもなくなり、自分は人前で演奏して生きていくのは無理なのだと思って生きてきました。
それでも心のどこかであきらめきれなくて、教師を続けながらもピアノのレッスンに通ったり、同級生と音楽団体を設立して、演奏活動を続けたりしていました。
しかし、1年前、このままの人生でいいのかと自問自答して、自分の考えを変えてみたところ、素敵なご縁が繋がり、現在いろいろな方と演奏をする機会をいただくことができています。その分練習量も増え、はっきり言って、大学時代より今の方が上手に弾けていると思います(笑)しかも今私が赴任しているところは離島。初めはここで音楽活動をしていくのは無理と思っていましたが、環境は関係ないということがようやく分かりました。
コンクールで成績を残していない自分に需要はないと思っていた私でしたが、そうでもないということが分かった今、これからどんな人生が待ち受けているのかが楽しみにもなってきました。

最近の自分の経験からも、人は「このままでいいのか」と思った時がスタートなのだと感じています。もしこれを読んでいるあなたも、今がスタート地点なのかな?と感じているのなら、ぜひ私と一緒に新しい一歩を踏み出してみませんか?